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足立区の魅力を探る旅『なぜか惹かれる足立区』

何かとマイナスイメージを持たれがちな足立区。
 
ところが近年、東京23区で「定住率ナンバーワン」を誇るなど、その住みやすさから再評価が進んでいるという。
 
足立区に何が起こっているのか? 『なぜか惹かれる足立区』(ワニブックス刊)の著者で、一般社団法人「東京23区研究所」所長の池田利道氏に、足立区の鉄道整備と沿線開発の歴史について解説してもらった。

異なる発展をした「三兄弟」

 

 
数年前のことになるが(足立区、葛飾区、江戸川区の)東部3区を取り上げたある雑誌が、キャッチコピーに「下町三兄弟」と銘打った。思わず「うまいな!」と、感心してしまった。
 
目黒、世田谷、杉並の3区だったら、「山の手三姉妹」の方が似合うが、東部3区はやっぱり男兄弟でないと収まりが悪い。兄弟だから似ていることはいうまでもない。だが、個性は違う。
 
東部3区のどこが長男で、どこが次男で三男か。それは市街化の歴史をみると明白だ。
 
最初に市街化が進んだのは、押上線、金町線を含む京成線のネットワークが昭和の初めまでに整備されていた葛飾区。セルロイドから始まり、おもちゃへと続いていく町工場の集積が、その発展の背骨を支えた。モンチッチも、リカちゃんも、黒ひげ危機一発も、生まれも育ちもカツシカである。
 
ちょっと地味だが実力勝負。モノづくりのまちに共通する特性は、葛飾区にもあてはまる。
 
常磐線が通る千住以外、明治時代に開通した東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)だけしか鉄道がなかった足立区は、葛飾区と比べてやや開発が遅れる。以後足立には、二番手ならではの「損な立場」がついて回る。その一方で、千住を大学のまちに変えたように、意外な戦略性を持ち合わせているのも足立区だ。
 
かつて、総武線が区の北端をかすめて通るだけだった江戸川区は、最も開発が遅れた。 同時に遅れたが故のメリットを、巧みに活用できた区でもある。強い共通性をもつ東部3区は、同時にひとくくりで捉えることができないきわめつきの個性派揃いでもある。

鉄道効果を活かした江戸川区

 

 
区の大部分が交通不便地域だった江戸川区東京メトロ(当時は営団地下鉄)の東西線が開通するのが、高度成長の時代も末期が近づく1969年。これで同区の南側は随分と便利になった。だが、総武線小岩駅東西線葛西駅の間は10キロ近くも離れており、区の中部は依然として交通の空白地帯のまま残り続けた。
 
待望の都営地下鉄新宿線が開通するのは1980年代の半ばになってのこと。あまりにも交通の便が悪かったから、鉄道が開通したとき、まだ市街化の密度が低く、時代のニーズに合った開発を進め得る余地が残っていた。
 
武蔵小杉のような再開発型は別として、いま首都圏で新たな市街地開発の勢いが最も盛んなのは、千葉県の流山市柏市の北部、茨城県守谷市つくばみらい市など。いずれも2005年に開通したつくばエクスプレスの沿線である。
 
これと似た動きが、江戸川区では1970年代に区の南部で、1980年代半ば以降は区の中央部で起きた。団地でさえ立地をためらうような場所が、にわかに脚光を浴びるようになったのだ。まさに、開発が遅れた故のメリットだったということができる。

千住以外が「その他大勢」になったワケ

 

 
一方、曲がりなりにも区のど真ん中を東武伊勢崎線が通っていた足立区は、交通の利便性が決して高いとはいえないものの、地価の安さを考えるとギリギリ許容範囲内という、いわば中途半端な状態にあった。足立区が団地のまちとなり、庶民のまちとなっていく背景には、この中途半端さが大きな作用を及ぼすことになる。
 
ただし足立区の中で、千住だけは全く別の歩みをたどる。
 
東京オリンピックは2020年大会が2回目で、1回目は1964年。まさに日本が、そしてその中心である東京が、発展の道を走り続けていたさなかのことだった。新幹線も、首都高も、羽田に向かうモノレールも、1964年のオリンピック大会に合わせて整備が進む。
 
地下鉄の日比谷線もそのひとつ。日比谷線の北千住~人形町間が開業したのが1962年。オリンピック大会を目前に控えた1964年8月末には中目黒までの全線が開通し、東急東横線との相互乗り入れも始まって、北千住と横浜方面がダイレクトに結ばれる。
 
1969年には地下鉄千代田線の北千住~大手町間が開業し、東京の最中心部と直結する。千代田線は、1978年には小田急線との相互乗り入れも始まる。さらに2003年になると東武伊勢崎線と地下鉄半蔵門線の相互乗り入れが開始され、北千住から渋谷まで乗り換えなしで行くことができるようになる。
 
千住地区の面積は、足立区全体の1割しかない。その千住が、抜群の交通利便性を背景として独自の発展を遂げるのを傍目にしながら、残る9割は中途半端から脱却できない状況を余儀なくされ続けた。
 
ようやくつくばエクスプレスが開通し、1979年に“盲腸駅”として開設されていた北綾瀬と併せて、区の東側の交通不便が解消されるのが2005年。続いて2008年には日暮里・舎人ライナーが開通し、区の西側の交通不便も解消される。
 
だが、遅すぎた。江戸川区都営地下鉄新宿線が開通したときから数えても20年。つくばエキスプレス日暮里・舎人ライナーも、すでに沿線は中途半端な状況下での市街化が進んでしまっていた。日暮里・舎人ライナーは団地連結線の様相が濃く、つくばエキスプレス青井駅は「団地前駅」の感がある。

開発から取り残された足立区

 

 
千住以外の足立全体が中途半端な位置づけを余儀なくされた影響は、市街化が先行した東武スカイツリーラインの沿線にも色濃く表れている。
 
急行が停まり半蔵門線への直通電車にも乗れる西新井は、1980年代の初めに駅前にスーパーができ、2000年代になると駅の近くの工場跡地に大型ショッピングセンターもできるなどまちの利便性の向上が進んだ。背後に「団地のまち」が広がっているため、まちのパワーが高まっているとまではいえないにしても、一応の活力維持は図られている。
 
これに対して梅島や五反野は、小さな木造住宅が密集する典型的な庶民のまちだ。竹ノ塚は「団地のまち」の入り口である。
 
足立区役所から一番近い駅は梅島だが、歩くと15分近くかかる。区役所に急いでいく必要があるときは西新井からタクシーに乗るのが確実だが、普段は北千住からバスに乗るのが一番便利。20年以上前に千住から移転してきた区役所も、いまだに足立の「その他大勢」の構造を変えることができておらず、「最寄り駅」は北千住のままだ。
 
筆者の23区内山手線外側28路線の分析で、沿線の高齢化が最も進んでいるのは、JR京浜東北線上中里以北(尾久を含む)。2位が日暮里・舎人ライナー。以下、東武スカイツリーライン東京メトロ南北線つくばエクスプレス(南千住以遠)と続く。
 
逆に高齢化率が最も低いのはJR京葉線、次いで東京メトロ東西線都営地下鉄新宿線江東区側に古いまちが多いため、やや高齢化率が高いが、28路線を「高」と「若」に2分割するとやはり若い部類に入る。足立区と江戸川区との間には歴然とした差がある。
 
駅(駅勢圏)の方は、調査の対象としたおよそ240の駅の中で、高齢化率3位に江北が入るほか、西新井大師西(7位)、高野(8位)も高齢化の進行が著しい。人口増加率のボトム3は高野、西新井大師西五反野と足立区が独占。さらに下から5番目に北綾瀬が続き、舎人公園、大師前を加えるとボトム10のうち6駅が足立区である。
 
30代人口の増加率も同様で、一番低い舎人公園をはじめ、高野、北綾瀬西新井大師西、竹ノ塚、谷在家がボトム10に名を連ねている。
 
一応の活力維持が図られていると評価できる西新井も、高齢化率は23区平均と同程度、30代人口の増加率は全国平均とほぼ同レベルで、23区平均には遠く及ばない。
 
鉄道の整備と沿線の開発の歴史が、この現実を生み出していったのだ。

足立区はこのまま衰退するのか

 

 
では、なぜいま足立を取り上げようとするのか。それは大きな課題を抱えているからこそ、未来に向けた可能性を期待できるからにほかならない。
 
東京のまちは、渦巻きのように発展、低迷、再発展を繰り返してきた。東京がいまわが国の多くの地方都市がさらされているような低迷から衰退への道を進まなかったのは、人口が増え、活力が維持できる仕組みを内在させていたからにほかならない。
 
住みたいまち選びのトレンドの先端にある都心も、四半世紀前までは都市のドーナツ化によって半端ではない人口の減少が続いていた。都心の人口が一転増加に向かうようになった背景には、1997年に建築基準法が改正され、タワーマンションの建設が容易になったからだといわれている。
 
なるほどそれも理由のひとつではあるが、1980年代以降中央区が試行錯誤を続けた人口回復を目指す取り組みが、都心ライフの見直しという花を咲かせたことを忘れてはならない。
 
さらに今世紀に入ると、六本木ヒルズをはじめレジデンシャル機能を併設した大規模なタウン型再開発が港区で相次ぎ、都心ライフの評価を一気に引き上げることになる。「ヒルズ族」という言葉はまだ記憶に新しいだろう。
 
50年前の世界からタイムスリップしてきた人がいたなら、いまの東京都心を見て目を回すに違いない。筆者にしても、学生時代には「都心は本来人が住むところではない」と教わった。
 
だが、これからはかつてのように、東京にある限りいつか逆転打を放つことができるという甘い考えは許されなくなった。わが国全体を襲う少子高齢化から人口減少への荒波に、やがて東京も正面から向き合っていかざるを得ないからだ。消滅はないにしても、低迷から衰退をたどることは十分に考えられる。東京も否応なくまちが存続を競い合う時代を迎えようとしている。
 
競争に勝ち残るためのポイントは2つ。第一に、自分たちの置かれている実態を正しく把握し、理解すること。そして第二に、的を絞って突破口を開いていく都市経営の戦略性を磨くこと。その意味で、筆者の足立評価は高い。区政はもとより、区民を巻き込んだ動きの広がりを実感できるからだ。
 
「足立に住めたら、どこにでも住める」。バラエティ番組の茶化したコピーの向こうを張るなら、「足立がわかれば、未来がわかる」。足立にそそぐ熱い視線が、いま密かに高まり出している。